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薩摩藩島津氏は天皇に最も功績があった

 投稿者:ねこ  投稿日:2013年 2月14日(木)02時35分34秒
  薩摩藩島津氏は天皇に最も功績があった
http://park.geocities.jp/jpcdebate/0203/p038.html#page263
島津氏は鹿児島の「ほめ殺し」という点で絶妙の政策を続けた。
明治維新以降、天皇家と島津家・西郷家が親戚関係になったのは、
「薩摩」の力が大きくなったからではない。
むしろ、鹿児島を弱体化させた功績で親戚関係になったのだ。
(仮説を含む)
( http://book.geocities.jp/japan_conspiracy/0202/p008.html )
( http://park.geocities.jp/jpcdebate/0103/p033.html )
 
 

奥州

 投稿者:  投稿日:2012年 8月 8日(水)07時59分27秒
編集済
  当初は「道奥」(みちのおく)と呼ばれ、平安時代まで「陸奥」(みちのく)とも呼ばれた。その後は「陸奥国」(むつのくに)と呼ばれた。別称は奥州(おうしゅう)または陸州(りくしゅう・ろくしゅう)。

畿内から見て山道(のちの東山道)と海道(のちの東海道)の奥に位置し、中央政権に新規に服従した地域を同国に含めていったため、時期によって範囲は変遷する。おおむね本州の北東部にあたる今日の青森県・岩手県・宮城県・福島県と、秋田県北東の鹿角市と小坂町にあたる。『延喜式』での格は大国・遠国で、東山道に属した。

畿内とは以下の5国である。近現代の行政区分では、奈良県の全域と、京都府の南部、大阪府の大部分、兵庫県の南東部に当たる。なお畿内という地域概念は現在でも存在し地方分権などの行政区分や観光などの産業分野でしばし取り上げられる。

山城国(京都府京都市以南。ただし左京区広河原、右京区京北は山陰道丹波国)
大和国(奈良県)
河内国(大阪府東部)
和泉国(大阪府南西部)
摂津国(大阪府北中部および兵庫県神戸市須磨区以東。ただし高槻市樫田と豊能町牧・寺田は丹波国、               神戸市須磨区須磨ニュータウン西部と北区淡河町は山陽道播磨国)


戊辰戦争に敗戦した奥羽越列藩同盟諸藩に対する処分が行われた明治元年12月7日(西暦1869年1月19日)に出羽国と共に分割され、青森県と岩手県二戸郡にかけての地域に新たに「陸奥国」(りくおうのくに・むつのくに)が置かれた。

 

奥州ってどこ?

 投稿者:かみりん  投稿日:2008年 9月 8日(月)22時24分37秒
  日和の城というおもしろい?歴史小説を読破したよ!
はじめはいろんな人や土地がいっぱい出てきて読むのがいやになりましたが、
いつしか、華姫という人物にひかれていっき読み!
でも、伊達政宗と石田三成、徳川家康以外かみりんにはわからない人だらけ!
この小説の地図をお持ちの方、かみりんに教えて!
物語の校正はともかく早い、なんか、次を読まなくては、次を読まなくてはの連続。
ちょっと満足でした!

http://www.kitanomori.jp/

 

加賀百万石

 投稿者:歌舞伎者  投稿日:2008年 6月 3日(火)11時04分11秒
  石川県の歴史を面白おかしく紹介しているキャラクターがあります。
見てて、勉強にもなるし面白いな~と感心しています。
モンキーパッカというものですが、皆さん見てみて!

http://kitemi.net/mon/index.htm

 

ありがとうございます

 投稿者:きなり  投稿日:2008年 5月25日(日)07時54分46秒
  爺さま、早速ご紹介いただきありがとうございます!
そうか、「真田太平記」がありましたね。以前読もうと思っていたことをすっかり忘れていました。「城塞」は読んだのですが、何故かその前に読んだ「関ヶ原」ほどハマれませんでした。(その頃立て続けに司馬遼太郎作品を読んでいたので、もしかしたら少々文体に飽きていたのかもしれません。なんて書くと氏のファンに怒られますかね??^^;)
柴錬も久しぶりに読んでみたいなあ。
鉄砲三国志も面白そうですね♪

なかなかゆっくり読書、というわけにいきませんが、ぼちぼちと読んでみたいと思います。

http://air.ap.teacup.com/shikishimaya/

 

大阪の役

 投稿者:  投稿日:2008年 5月19日(月)09時23分41秒
編集済
  私が読んだ「大坂の役」が出てくる本は次の三冊です。
忘れているのも有るかも知れません?
「徳川家康」講談社文庫 山岡荘八
「真田信之」PHP文庫 川村真二
「戦雲の夢」講談社 司馬遼太郎

次の二冊も面白そうです。
「城塞」新潮社 司馬遼太郎
「鉄砲三国志―大坂の陣外伝」 角川文庫 南原 幹雄

真田信繁(幸村)に付いては沢山、出版されています。下記は一例です。
「真田太平記」池波正太郎
「真田幸村」海音寺潮五郎
「風神の門」司馬遼太郎
「軍師二人(短編)」司馬遼太郎
「真田幸村」柴田錬三郎
「猿飛佐助」柴田錬三郎
「幸村殿、艶にて候」秋月こう

http://plaza.rakuten.co.jp/zyiva413/

 

ありがとうございます

 投稿者:きなり  投稿日:2008年 5月18日(日)19時56分23秒
  てつはますます元気で、目が離せません!
好奇心の芽を摘んでしまいたくないので、なるべくサークルなどに閉じ込めず、なんでも「ダメダメ!」と取り上げてしまわず、危険なものだけを遠ざけようとしていますが…そうなると本当にべったりついていなければ無理ですね(^^;)
怪我をしないように家具の角にクッションシールを貼っているのですけれど、それをはがすのが楽しくて仕方ないみたいですし。(^^;)何のために貼ったんだか…。
(今は暴れ疲れて、膝の上でウトウト寝ています!)

そんな状況で、ゆっくり本を読む時間はなかなかないのですが…
一応、今後の参考のために質問させてください。
大坂の陣を扱った小説で、爺さまのお勧めのものって何かありますか??
全然急ぎではありませんので、もしお暇がおありでしたら教えてくださると嬉しいです。

http://air.ap.teacup.com/shikishimaya/

 

ありがとう!

 投稿者:  投稿日:2008年 5月15日(木)07時47分39秒
  きなりさん、有難う御座います。
早速見に行きました、興味が湧く題名が沢山あります。
一度には読みきりませんが徐々に読んで行きたいと思います。

「てつ君」も元気そうですね、mixiで「てつ君」の動画を時々見ています。
是からも育児は大変だと思いますか、楽しみや喜びも大きいと思います、
将来は大物になるように頑張って育児に励んで下さい。
 

面白いサイトを見つけました!

 投稿者:きなり  投稿日:2008年 5月14日(水)19時51分29秒
  迷惑書き込みのような題名となってしまいまして申し訳ありません。しきしまきなりです。ご無沙汰しております。m(_ _)m

先日、たまたま中井正清のことを調べていて見つけたのですが、大成建設さんのサイト内に「ライブラリー」というコンテンツがありまして、その中の「週刊コラム」というところに、歴史上の人物のことが色々と、建設会社ならではの視点から書かれています。とても面白く、是非爺さまにお知らせを…と思い、書き込ませていただきました。
「ライブラリー」には、「古代文明ヴァーチャルトリップ」というページもありまして、これも楽しいです♪

もし、とっくにご存知のことできたらすみません(^^;)

大成建設さんの「ライブラリー」

大成建設さんのトップページ

http://air.ap.teacup.com/shikishimaya/

 

尊皇攘夷

 投稿者:  投稿日:2007年 9月12日(水)14時52分49秒
  尊皇論(そんのうろん)は、天皇、皇室を日本古来の血統を受け継ぐものとして
崇拝する思想。尊王思想、尊王論とも言う。
古代、日本に仏教が伝来し、中世に神仏習合が起こると、記紀神話に基づく
皇室権威の絶対化が行われるようになる。

江戸時代には幕府は朱子学を支配原理として採用し、儒教思想が定着した。
幕藩体制において朝廷は幕府の制約を受けていたが、権威的秩序、宗教的な頂点の
存在として位置づけられた。
江戸中期に国学がさかんになり、記紀や国史、神道などの研究が行われ、
武士や豪農などの知識層へも広まる。また、天皇陵の修復や、藩祖を皇族に結びつける
風潮も起こる。

幕政改革の混乱や、異国船の来航による対外的緊張など政治的混乱が起こると、
幕府は秩序維持のため大政委任論に依存して朝廷権威を政治利用し、
朝廷の権威が復興する。

幕末には、平田国学や水戸学などナショナリズムとして絶対化され、仏教を排斥する
廃仏毀釈としても現れる。幕府が諸外国と条約を結び、鎖国体制を解いて開国を行うと、
攘夷論と結合して尊王攘夷(尊攘)となり、幕政批判や討幕運動などへと展開していく
素地のひとつとなり、明治以降の国体論や国家神道へも影響する。

また、江戸時代における儒教思想の日本への定着はすなわち、中華思想(華夷思想)の
日本への定着を意味し、近代の皇国史観などに影響を与え、日本版中華思想ともいうべき
ものの下地となった。日本を指して「中国」と呼ぶなどの例は、それを示している。

幕末に至って、従来は同じく中国思想であったものが日本化した攘夷論とむすびつき、
幕府や幕藩体制を批判する先鋭な政治思想へと展開していく素地の一つとなる。



攘夷論(じょういろん)は、日本においては、江戸末期に広まった考えで、夷人(外国人)をしりぞける。つまり外国人を実力行使で排斥しようという過激思想。

帝国主義の発想を持つ欧米のアジアへの接近(侵略・進出)により、それまでの江戸の
天下泰平の世の中(鎖国体制下の社会)を維持したいという発想として盛り上がった。

元々は朱子学を重んじた水戸学から発して全国に尊皇攘夷思想として広まった。
だが、それが勤皇思想と結んだ結果において倒幕と言うエネルギーに一転した。
これは一種のすり替えであった。

開港以後は、国学の発展によって強化されつつあった日本は神国であるという
ナショナリズムの発想である尊皇論と結びつき、尊皇攘夷論となって諸藩の
志士や公卿によって支持された。

しかし薩英戦争や下関戦争において外国艦隊との力の差に直面したことにより、
単純な攘夷論に対する批判が生じて、津和野藩の国学者大国隆正らによって唱えられた
国内統一を優先して、外国との交易によって富国強兵を図ってでも、

諸外国と対等に対峙する力をつけるべきだとする「大攘夷」論が登場した事によって、
これを受け入れた攘夷運動の主力であった長州藩・薩摩藩の主張も事実上開国論へと
転向していくのである。

元は中国の春秋時代の言葉。
 

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